佐世保同級生殺害事件について・・ 「人の死に興味があった」「人を殺してみたかった」 これには一言(どころじゃないけど)言わせていただきます。 私は思春期の多感な時期に、校外学習の一環として『葬儀場』へのお参りを行なえばよいのではと考えます。理解のあるご家族(葬家)と葬儀社がいないとなりませんが、目の前で悲しんでいる人を前にして焼香して手を合わせるのです。そして友だちや先生と“死”について意見を述べ合うのです。これは絶対に意義があると思います。死を忌み嫌っている場合じゃない。いつどこで自分や家族・友人に降り掛かるか分からないことなのです。 死について興味があるというなら、東日本大震災発生時に親や周りの大人は彼女に何も会話をしなかったのでしょうか?ゲームやスマホの画面内で起こっているんじゃない、胸を引きちぎられるような出来事が実際に起きているのです。これを学ばずに何から学ぶのか? ご納棺の際、さも当たり前のように 「あなたたちはあっち行ってていいから」 と、小さな子を納棺に立ち会わせない若い親が結構います。これこそ問題です。小さい子だからこそ立ち会わせなければいけません。 誰もがいつか死ぬのです。 死んだらこうなるのです。 死は遠い場所に或るものではない、ということを伝える責任が我々大人にはあります。葬儀は“死”に立ち会える絶好の場=最高の社会勉強の場なのです。 私はこれから堂々と「差し支えなければ一緒に行ないましょう」と言うようにします。「これもご縁ですので、ここにいる方すべての方にお手伝いしていただきます」と毅然と言います。小さい子だからと逃がしません。 「人を殺してみたかった」などと、私の現場を体験したお子さんからは絶対に言わせないことをここに宣言します。源川が担当した葬儀は心して欲しいと思います。
葬儀は最高の社会勉強