神奈川県には“監察医”制度があり、例え自宅で亡くなったとしても警察が介入し、
監察医に搬送されるという話を何度も書きました。
 
救急車を呼んでしまうとそうなってしまうのです。
その搬送費用や死亡診断書(この場合呼び方が変わり“死亡検案書”となります)
発行費用はご家族負担となり、結構な金額となります。
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その死亡に不審な点があって事件性があるとか、
死因が特殊で調べる必要があれば監察医の出番だとは思うのですが、明らかに
「これは老衰でしょ」
とわかる高齢者も監察医に運ばれたりします。
(ただ高齢者だと滅多には解剖までならないようですが)
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今回のケースでは、おばあちゃんが自宅で事切れていて、
見つけたお孫さんが慌てて救急車を呼んでしまいました。
亡くなっていたら救急隊員は何もしません。
警察にも連絡されて事件性がないか調べられます。
おばあちゃんには幸いにしてかかりつけ医がいました。
診察の記録があり、高齢で家族にも現場にも不審な点はありません。
もう1つの幸運は、運ばれた先の病院が機転を利かせてくれ、
運ばれたことを無いことにしてくれたようなのです(詳しいことはわかりません)。
 
その家族は弊社での葬儀が三回目で、寝台車も早く到着できたことも功を奏し、すべてがトントン拍子。
うまくいく時は実にうまくいくものです(またその逆もあり)
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おばあちゃんは家に帰り、かかりつけ医が診断して下さって死亡診断書を発行。
そこにドライアイスを抱えた真打ち?源川が到着・・と、こんな感じでした。
「検案にならなくて良かった」
家族は胸を撫で下ろし、私も心底そう思います。
あの制度もかかる費用も再考の余地があると感じています。
だから何度でも書きます。
 
1)家族が高齢で
2)自宅で治療や介護していて
3)警察の世話になりたくない方は(皆そうか??)
 
必ず“かかりつけ医を見つけて下さい。
近くにいないとか見つけ方がわからないとかの話ではありません。 探して下さい。
あの冷たい診察台の上で故人がどんな扱いを受けるのか・・
書けるものなら書きたいのですが、倫理的に許されない気がします。
あんな扱いをされる為に、ここまで生きてきたはずでは断じてない!(と思う)
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もし自宅で亡くなっていたら救急車は絶対に呼ばず、
ご苦労様と頭を撫でて抱き締めてあげて下さい。
その時、時間だけは覚えておき、あとでかかりつけ医に教えて下さい。
死亡時刻は大事です。
 
その死があまりに不審だったり、事件性があれば警察です。
そうでなければ、呼ぶのはかかりつけ医と葬儀屋です。それで十分。
救急車を呼んではいけません。亡くなっていたら救急隊員は何もしません。
警察も来て、痛くもない腹を散々いじられます。
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しかしこんなことがすんなりできるはずがありません。
これにはイメージトレーニングが必要です。
いつそうなってもいいように、覚悟を決めておきます。
ご本人とも元気なうちに話しておいて、写真なんかも決めておくと良いです。
(私を呼んでくだされば、万が一の際どうしたら良いかお教えします)
 
死は百パーセント。
なのに、学校でも家庭でもほとんど教えないのが不思議です。
逆に覆い隠してしまいます。
葬儀って最高の『社会勉強』だと思うのですが・・・
 
「死を知る」
ということは
「生きることを知る」
ということ。
 
命以上に大事なものがありますか?
生きること以上に、
人間がこの世でやることがあると言うのでしょうか?
あるなら教えて貰いたい。
 
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『看取り師』という方がいらっしゃいます。
その名の通り、最期をご家族と一緒に看取ってくれます。
まだ職業としては難しいようですが、
本を読ませていただきとても感銘を受けました。
 
こういう方の活躍も、これから期待されるところです。
誰も書かなかった葬儀のお話 『かかりつけ医に救われた』・・編