昨年末から今年初めに渡り、数名の方のお迎えに伺いました。真夜中のお迎えにも対応し、すでに葬儀の手配をしています。亡くなることに大晦日も正月もありません。(かく言う私の親戚にも元日に亡くなった方がいます)
 
2016年の大晦日は友引だったので、1月1日2日と併せて三日間火葬場は休みでした。その皺寄せが三日以降にドドドッと舞い込みます。搬送業者さんは走りっぱなし、ご遺体の安置所は常にほぼ満室。
あと10年もすれば団塊の世代の方々が平均寿命を迎えていきます。普通のマンションは部屋もエレベーターも故人を受け入れるようには作られていないし、家に帰ろうとすれば「近所に知られたくない」と安置所を希望します。
それなのに声高に「火葬場反対」や「安置所反対」と叫ばれています。
いまでさえ火葬まで1週間待ちなんて当たり前。火葬場が足りていません。「安置所反対」を掲げる人のお宅で故人がでたら、絶対に家で安置して下さいねと思います。“死”に対する意識を変えないといけないのだと思います。
 
出生率低下は日本の未来に関わる問題ですが、火葬場・安置所不足もこの十年以内に確実にしかも一気に襲いかかります。
大抵の方が「なるべく早い」葬儀を望まれますが、私は少し時間を置くようアドバイスしています。
仕事があったり学校やその他諸々用事がおありなのは分かるのですが、それにしたって“一生に一度”のことです。急いで葬儀をやってみるといい。恐ろしいくらい疲れます。そのあとの仕事なんてまず手につきません。
急いでやるといつ悲しんだのか、きちんとお別れが出来たのかさっぱりわかりません。身体は大して疲れなくても、心労がハンパじゃないのです。
 
私は早く出来ようとも1日ポッカリ空く日を提案します。
そこで気持ちを落ち着かせて整理をしたり、なんとなく故人を思ったり出来ます。「あ、最後にこういうこともしたいな」なんてアイデアも出たりするのです。私の父のときは葬儀まで中1日ありましたが、母に至っては亡くなったその晩にお通夜でした。今じゃ考えられないのですが、もう少し置きたかったと悔やまれます。せめて一日位、母の亡骸と一緒にいたかった。
早くやった分だけ葬儀後、父やまわりの方々の疲れ方は尋常じゃありませんでした。それこそ「死んだように」疲れ果てていました。
・・書きながら気づきました。葬儀まで日にちを置くと、亡くなった直後にはとても見られなかった笑顔がご家族間に出てきます。気持ちに余裕が出て来るのだと思います。
 
早けりゃいい、というものじゃない。葬儀はファーストフードじゃないのです。保存の技術は向上しています。目まぐるしい時代だからこそ、人生の最期はゆったりしたいもの。
こういう考え方もあるというのを頭の片隅に入れていただけたらと思います。
*友引毎に更新
誰も書かなかった葬儀のお話・・『葬儀の日取り編』