このところ電車の人身事故が多いです。暮れも押し迫る12月。人は何かと忙しないです。急いでいるところにきて人身事故とかあるともう・・・プッツン寸前です。
彼(もしくは彼女)はそこに至るまで追いつめられてしまったのでしょう。彼らは悲しいけど「死にたい」のです。だから飛び込んでしまう。飛び込んだらどうなるのか・・・その想像力すら無くしてしまうのでしょうか。私から話す機会があれば、飛び込んだあとや自ら望んだ縊死のあとの状況を伝えられたら伝えます。そして残された家族の悲しむ姿を伝えたい。いままで何遍も見てきましたから。一人部屋で自死し、数日で見つかればまだしも、何週間・何ヶ月も発見されなければどうなるのか?それが夏場だったらどうなるのか?こんなことを学校で教わるはずはないけど、想像力をもっと豊かにする教育をしてもらいたいと思います。いまの日本は完璧にイマジネーションが不足しています。自分のこと・いまのことばかりに捉われ、他人を思いやる気持ちやこの先どうなるのかなどの想像力が欠けていると思います。
電車もそう。山○線や京○線を一時間止めるってどういうことなのか?考えてごらんなさいな。それが朝のラッシュ時だったらどういうことになるのか?死んだあともとても人に迷惑をかける訳です。だったら生きた方が良い。恥をかきながらも生きて生き抜いて、誰かの役にたった方が良い。何かのボランティアでもいいし、道のゴミ拾いでもいい。お年寄りに席を譲るだけでいい。いままで誰かに喜ばれたことがないのでしょう。きっと親が彼らをそうやって育てたのです。親が一言も褒めなかったのでしょう。褒められなければ人を褒めることもしません。負の連鎖は断ち切る必要があります。勇気を出して断ち切るのです。その手伝いならします。それが生きるチカラだと思います。生きるチカラがなければ死んでしまうのです。
かの葛飾北斎は晩年にこう言ったそうです。「本物の絵描きになるまで、私は死なない」。“死ねない”ではない、“死なない”です。生きるという確固たる意思があるのです。彼は江戸時代にしてはかなりの長寿を全うしました。
私は生きる人のために曲を書きます。それが私の生きるチカラなのです。