今年に入って早くも二件目の検案が。
私はこの制度にはなはだギモンを持っています。
まずここで「検案」と「検視」の違いをおさらいー
<検案>
検案とは医師が死体を表面から観察し、更に死体の既往歴や死んだ時の周りの状況から死因、死後経過時間などを医学的に推定する事をいう。
監察医制度のある地域では監察医が、そうでない地域では依頼を受けた医師が行う。
検案には限界があり、より詳細な情報が必要な場合は解剖をしなければならない。
<検視>
検視は医者が死体を異状死と判断し、警察署に届け出た後に、警察官あるいは検察官によって行われる。
届け出のあった死体とその周囲の状況を捜査し、犯罪性の有無の判断を行う。
犯罪性が認められれば司法検視が行われ、犯罪性が無いと判断されれば行政検視が行われる。
(出典:となる医学生の雑記帳)
・・つまりおまわりさんが調べるのが“検視”で、お医者さんが調べるのが“検案”です。
例えばお年寄りが静かに余生を送りたいと自宅で暮らしていて、ほかに家人がいない時に一人で亡くなるとします(例:階段から落ちる/お風呂やトイレで昏倒/食べ物を喉に詰まらす)。あとでそれを見つけた家人が(もう亡くなっているのに)救急車を呼ぶとします。病院に運ばれてもすでに亡くなっていますから手の施しようがありません。
診療経験がなければその病院は“死亡診断書”を書くことができない(トラブル回避のため書きたがらない)ので、警察に連絡します。警察は検視をして、検案の流れとなるのです。
この“検案”はタダではありません。故人を搬送するのは家族では無理ですから葬儀屋や搬送の業者が行ないます。それだけで万単位のお金が掛かる上、“検案代”も掛かります。ましてや解剖となれば更に費用がかさみます。(住む地域にもよりますが)
犯罪性や必要性があれば調べてもらわないとですが、私からすれば90や100歳にもなろう人は必ず<死ぬ>のです。それは大人は知ってなきゃいけないし、子供にも教えていかなければいけない。
死因は『老衰』ですよ。それを告げられておしまいです。
大往生であろう方の検案で、ご家族が捻出する費用は私は無駄だと思っています(協力医には怒られますが・・)
その時に呼ぶのは救急車ではありません、『かかりつけ医』です。
かかりつけ医ならその人のことをずっと看てきていますから、死亡診断書が書けます。
慌てて救急車を呼んでももうコト切れています。病院に運ばれても生き返ることは絶対にありません。で、警察が呼ばれるのです。
下手をすると家人が“事情聴取”されます。
「あなたが殺したんじゃないですか?」
ということです。疑うのがアチラさんの仕事なのです。
かかりつけ医がいれば警察の世話にならずに無駄なお金や労力、気遣いをせずにそのまま自宅で見送れます。
時間がかかってもいいのです。ひたすらかかりつけ医の到着を待ちましょう。
そのほうが検案になるよりも遥かに、遥かに穏やかに事が進みます。
故人がどこかへ運ばれる事も無駄や費用捻出も、事情聴取されることもありません。
もし老人ホームなどの施設に入居されている方なら、“もしも”の時の段取りを施設側と話しておくと良いと思います。
施設としてもやり方や方針があると思うので、ご家族とお互い理解しておくとスムーズでしょうね。
もっと言うと『かかりつけ医』と『葬儀屋』を見つけておくことです。
葬儀屋とは事前相談で内容や費用を確認しておいて、自宅や老人ホームの住所も教えておくのです。
イザという時、人は住所とか生年月日とか結構間違えて伝えるもの。また事前相談を億劫がる葬儀屋はたいした葬儀屋ではありませんので(笑)、そこで判断ができますよ。
亡くなってから何日も経ってほかの葬儀屋が打ち合わせとか手続きとかで何回も動いているのに「見積もりが高い」と私に相談されても遅いのです。動かれるとどうしたって人件費が掛かるのです。
肝心なのは最初。納得いかない見積りに安易にサインしないでいただきたい。
ある程度歳をとってきたらかかりつけ医を見つけて下さい/または見つけてあげて下さい。「まだ先の話だ」ではなく、今日してあげて下さい。いずれこの内容を痛感する日が(悲しいですが)必ず来ます。
切に想います。