皆さんは“感動”したこと、ありますか?

私は年じゅう感動しています。映画やドラマを観ては感動し、良い葬儀に立ち会っては感動し、旅をしては感動し、素敵な女性と会っては感動します(笑)

どうして感動するのかを考えてみます。まず予想が出来た場合はあまり感動しません。感動って予想していない時や不意を突かれると感動という感情に繋がると思うのです。「ここはこうなるな・・」と展開や進行状況が想像出来て、その通りになるとまず感動しませんよね。

「え、そこでこうなるのか!」

「なんて素敵な声(歌)なんだろう」

「こういう展開は読めなかった」

「こんなに早く◯◯できるとは思わなかった」

・・例が陳腐で申し訳ないのですが、もっともっといろんなケースがあると思います。つまりは想像や予想を“超えてる”ってことなのです。

私は人から「歌を作って」と言われてから作ったことはありません。言われて作ってもだいたい有り体の出来になります。想像を超えていないのです。相手の想像も私の想像も。それで感動は生みません。

期待なんかさせてはいけないのです。期待は“超えて”しまわないといけません。

現役時代を生では知りませんが、長島茂雄さんのプレーはきっと想像を超えていたのではないでしょうか?「こうなるだろう」という予想を覆すような守備やバッティングだったのでは?だからお客さんは魅了されたのでしょう。黒澤明監督は、誰かに言われてから『七人の侍』を作ったのではないはずです。考えているうちにアイデアがどんどん膨らんで、時代考証を重ねてあれだけの名作を作り上げたのではないでしょうか。あれはもう素人が口を出せる次元ではありません。それだけ超えきっています。

私もそんな歌を書いてみたいし、それを目指します。グウの音も出ないような完璧な歌。それがどんな形を指すのか分かりません。だから歌を書くのだと思います。

期待や予想を超えて、はじめて感動というフィールドに踏み入れるのです。

期待と感動