14日の“余震”からもう5日ほど経ちます。 まだ連絡がつかない、家屋や土砂の下敷きになっている方がいらっしゃいます。 早く助けられて欲しいと願うばかりですが、一方で「これが人生であり、生きること」と思います。 避難所には多くの人がいて、余震も断続的に続いています。 どうかお疲れないよう祈ります。
いつ、何が起きるかわからない・・ 何度も書きましたし、実際にそう思います。 いくら防災バッグを用意したって地震が来ない訳ではありません。 どれだけ高い壁を築いても、津波はそれ以上に強いエネルギーで襲ってくるに違いない。人間は自然の前では無力なのです。 昨日の強風、いろんな所で被害をもたらしましたね。防げたところはありますか?風なんて防げやしない。地震も火山も津波も防げないのです。それを理解しないといけない。 防ぐのでなく、どれだけ被害を少なくするのか・・『防災』ではなく『減災』へシフトするのです。 私はもし就寝中に地震が起きて、頭に家具が直撃しない限りは絶対に生き抜く自信があります。これは覚悟。まず自分が生きる。 頭をやられたらおしまいです。目覚めることはないでしょう。それ以外は絶対に生きます。その準備があるし体力も付けています。 準備も体力も覚悟も無いのに、生きられる訳がない。もし生きられたら、それは運がいいだけの話。 生きてさえいればだれかの役に立てます。一人でのうのうと生きたってつまらない。人の役に立たなければ。 人が困ってる時にライオンが逃げたの原発が爆発しただのデマを流すヤツは論外。人間として恥です。 銀座に『熊本館』というのがあって、人が多く訪れているといいます。皆さん熊本に対して何かしたいということなのでしょう。 私も明日行きたいと思っています。品物はあまり残ってないと言うことですが(物流が止まっているので)、何か購入したいと思います。 できことをやる。裏を返せば、無理なことはどうしたって無理。 一人には限界がある。だから人と組んで仕事をするのです。 生きていてワクワクすること、それをすると楽しいなあと思うこと、挑む価値があることをやるだけです。無理強いされてやったってつまらない。つまらないことはやる必要ない!くらいに最近考えます。どうせ70〜80年の人生です。楽しまないと。 ただでさえつらいことは押し寄せて来ます。 単純なことです。気づくだけです。
熊本地震に思う