先日の自民党・高市政調会長の発言「原発事故で亡くなった方はいないから・・」に批難が集中しました。この発言のうらには「だから原発は再稼働しても問題ない」というのが垣間見えます。高市会長は陳謝、エネルギー政策に関するすべての発言を撤回しました。陳謝は分かりますが、すべての発言を撤回したのはよく意味が分かりません。投げ出したようにも思えます。そして「処遇は(安倍)総裁に任せます」と終えました。

要はどう思っているかです。きっと本音の部分が出たのでしょう。その前にあった復興省の参議官によるツイッターでの悪口テイストのつぶやきや、岩手県議員による病院で番号で呼ばれたことへの怒りに任せたブログへの書き込みなど、記憶に新しいところです。顕著なのがNPBの加藤コミッショナーによる会見での「私は不祥事とは思っていません」発言。これは選手や関係者はおろか、全国のプロ野球ファンを不快にさせたと思います。野球にそれほど詳しくない私も「あれ?」と思いました。たしかにこれは暴力事件でもセクハラでもありません。でも最高責任者本人が言ってはいけないのではないでしょうか。知ってたとか知らなかったとかが問題でなく、それらすべてを含めての“不祥事”なのです。あの場では謝ったほうが良かったし、後日の会見では謝っていました。

謝るような状況にはなるべくならない方が良いけれど、謝る時はしっかり謝った方が良い。破綻した安愚楽牧場の社長が債権者へ釈明する映像を見ましたが、社長は客席のほうを向かずずっと紙を見ながら話しており、誠実さ・真摯さがまったく伝わりませんでした。あそこで債権者を向いて話したところで彼らの罪は消える訳ではありませんが、印象は断然違うはずです。

本音ってぽろっと出てしまうんですね。公人になればなるほど、気をつけなければいけません。私たちは彼らを24時間見てる訳ではないのに、ほんの数分間ニュースで見たり数カットの映像を見ただけで、その人のことを知ってしまう気になってしまうのです。これはこれで怖いです。(しかも同じ映像が何回も使われますから余計刷り込まれます)

謝ることも、伝えるコミュニケーション手段の一つです。伝えられなければ、それは謝ったことにならないし、思っていることにもならないと私は思います。

謝り方・伝え方