今日は別のことを書こうと用意していましたが、よく利用させていただいた故人様の安置施設が今月一杯で閉まるという知らせを聞き、葬儀屋としてのいまの本音を書かせてもらいます(毎回本音ですが)
 
何度か書きましたが、2040年までは亡くなる方は増える一方です。2005年で年間の死亡数は108万人、2015年で129万人でしたが、2040年は166万人になる試算があります(私はもっと増えると思います)。
「三人で一人の75歳以上の方を支える時代」とかニュースでよく聞きませんか?日本はかつて経験の無い“高齢社会”を迎えているのです。
 
葬儀業界に長くいますが、どれだけ“安置施設”が出来たか?ほぼない。まず地域住民が反対します。葬儀屋もあまり歓迎されず、火葬場作るなんてもってのほか。
足りないんですよ、安置施設や火葬場が。葬儀屋なら私を呼んで下さい(笑)
 
安置施設を反対するなら、絶対故人様は自分の家に帰してあげて下さい。その時になって
「家には帰せません。部屋は狭いし近所にも知られたくない」
はナシです。死はきれいごとでは済まない。
才能は不公平ですが、死は公平に訪れます。
 
私どもはプロなので幾つも安置施設は知っています。そこへお連れするのを理解下さい。
「家は無理、でも遠くはイヤ。お金もかけたくない」
では話にならない。施設があるといっても無限じゃない。
私からすれば、国は競技場じゃなく安置施設と火葬場を作ってもらいたい。
 
公営火葬場にも安置施設が併設されているところはありますが、設定金額が安いから殺到するので2~3日は入れません。その間はどこかで待たなくてはならないのです。
人だって立派な“動物”です。大量の血液と肉体は生命活動をやめた瞬間から“腐り”始めます。病院や老人ホームにいつまでもお身体を置いておけません。どうしますか?
 
葬儀見てもわかります。親は子供を亡骸に近づかせない。
核家族だから、子供はおじいちゃんやおばあちゃんが近くで老いたり弱っていく様を見ません。で、いきなり葬儀となる訳です。子供に意味がわかる訳がない。
うまく時間を作って、月に一度でも老人ホームへ行って年取ることを教えたり、火葬場とか見学したらいい。死んだらここへ運ばれるんだって教えたらいい。最高の社会勉強です。
いまは若い彼らだって50~60年経てば死ぬのだし、それ以前に事故や病気で亡くなるかもしれない。先は誰にもわからない。
 
その安置施設の閉鎖を聞いて、正直愕然としました。日本人の死の認識はまだこのレベルなのかと。
「良かったね、安置場所が近くにあって」
とは決してならない。
自分と自分の家族は死なないと思ってるんですね。そのうち痛いほど分かります。安置施設がどれだけ必要なのか・・
 
死を考えることは、イコール“生”を考えることなのです。
事件事故は起こるし、災害は不意に襲います。戦争だっていつどうなるか分かりません。想像力が決定的に欠けていると思います。
そのうち分かります、痛いほど。
人間は痛い目に遭わなければわからないのです。
*友引毎に更新
誰も書かなかった葬儀のお話・・『安置所問題』編