私は納棺(故人様を棺におさめること)の時間を大事に考えています。

ご家族の方が故人に対して行なえる最後のお手伝い(死装束を付ける、副葬品を入れるなど)として尊いことだと思いますし、私どもがご家族とも距離が近くなる貴重な機会だと思うのです。いまは映画『おくりびと』の影響もあり、ラストメイクや納棺の儀式を多くの方がご理解していただけるようになりました。とてもいいことだと思います。

「自宅に帰りたい」「お風呂に入りたい」・・病院などで長く療養されていた方の望みのほとんどはこれでしょう。私の母もとても家に帰りたがりました。お風呂の好きな方でしたから。

この貴重な納棺の機会をみすみす逃す方がいらっしゃいます。たとえばおじいちゃんが亡くなりご自宅で納棺をするとします。家で納棺が出来るなんて、私からすれば貴重な訳です。まず棺を置くスペースがなかなかありません。ご自宅が高層マンションだったりすると棺が上がらなかったりします。(私は商売柄どんなエレベーターに乗っても「これは棺乗るな」とか思います笑)。廊下が狭くて棺が曲がりきらないとか近所の人に見られたくないとかいろいろある訳です。

様々な条件をクリアして納棺となります。その時にせっかくお孫さんが来てるのに「お前たちはあっち行きなさい」とか言って小さい子を二階に上げたりします。若いお母さんとかだと特にそうです。私は「せっかくですので宜しければ一緒に手伝ってもらいましょう」と言います。

“死”は学校では教わりません。死は誰にでも100%訪れることなのに誰も教えてくれないのです。教えてくれるのは先人だけです。先に生まれた人だけが死を教えてくれるのです。こんなに良い社会勉強はありません。英語を教える時間があるなら一度で良いから誰かの葬儀に参列して、周りの大人が動揺したり泣いたりするのを間近で見た方が良い。「死ぬってこういうことなんだ」「死ぬと人は悲しむんだ」とかを感じさせた方が絶対にいい。「じゃあ自分は悲しませないようにしよう」とかって思うはずなのです。

身内の葬儀にいままで何度出たことがありますかと言いたいのです。五回も無いと思います(たまに多い方もいますが)。一生に何度もない、最高の社会勉強の機会を逃してしまっているのです。あまりに幼い子は別ですが、ちょっと大きくなって幼稚園とか小学校へ上がる子なら、人の感情もわかります。ぜひ葬儀に参加して欲しいのです。飽きたら控え室があるのだから連れていけばいい。でもお花入れの際はまた参加して、周りの大人を見て欲しいのです。死を心で受け取って欲しいのです。巨費を投じて自殺対策をするなら、こちらの方がよっぽど対策になると思います。

葬儀を体感した方が人を悲しませない人間になると、私は信じています。

納棺の話