原発事故の影響で福島から避難されている方が、新橋駅前で現状をスピーチしていました。

私は関心があるし大事なことだと思うので聞き入りましたが、ほとんどの人は足早に通り過ぎます。東京には哀しいくらい“当事者感覚”が欠けています。

実際に電気が通っているせいでしょうか?停電や節電でもすれば我が身に考えます。皆が皆、福島に住んでいる訳でも親戚や友人がある訳でもありません。私もあべじゅんさんと組んでいなければ、ここまで福島のことは考えなかったと思います。福島と東京では感情/感覚にかなりの隔たりがあるのは事実です。そこにヒステリックに叫んでも齟齬が生まれるばかりに思えるのです。

なんとなく『原発再稼働』が発信されるいま(とんでもないことですが)、どうすれば良いのかと考えます。

私はやはり歌を発信していきたい。時に明るく、時にしっとりとあべじゅんさんの詞を曲にしていきます。実際に福島に住んでいる人の歌詞は“重み”が違います。外から目線で「故郷は美しい」とか「早く帰ろう」とか何だ?って思います。福島の方々の気持ちを私は軽々しく書けません。(福島内でもいろんな感情があるはずですし)

そして映像の発信です。映像サイトが市民権を得ていますので、これを活用するのは良い手段です。原発反対の映画も公開され始めています。

あとは伝え方です。言葉でも詞の朗読でもいいです。明るくするのか暗くやるのか、ハッキリやるのかイメージで攻めるのか?とにかく然るべき人に効果的な方法で聞いてもらう/知ってもらう/見てもらうのです。分かる人は分かってくれます。そして分かってくれる人に会うまでやることなのです。闇雲に街頭で話すのもひとつなのですが、新橋のあの場合も、通りすがりの人が足を止めてくれるような著名人が一人いたら印象は随分違いますね。

原発はあるだけで危険なのに、また地震と津波が来て破壊されるか(日本は地震国です!これには自信があります)再稼働でもされれば死の灰はさらに出続けます。世界じゅうで原発は動いているし、もう日本どころの話では無いのですが、日本だけは止めて欲しいです。(自国のも止められないでよその国へ止めにいけませんから)。原発ビジネスなど私から言わせたらバカヤローです。放射能をまき散らす、自分のこと/いまのことしか考えない大バカものです。日本はこれからインドやトルコにそれをやろうとしていますが・・

残念ですがもういっぺん地震が来ないとわからないですかね(原爆も広島だけではなく、長崎にも落とされました。日本は二回なのでしょうか)。ただ覚悟をしておくだけです。

最後に新橋のスピーチで印象に残った言葉を記しておきます・・

『電気は足りている。足りないのは愛!』

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