歩き遍路交流会で聴いたもうひとつのいい話
『招待状』
参加者でどうしてお遍路に行ったのか、という話になりました。総合すれば「時間と体力(または健康)、行けるだけのお金があった」ということなんですが、ある方が
「お大師さま(空海)から招待状が来たから」
と仰った。これに一同共感。※ちなみにお遍路同志で「空海」とはまず呼びません。「お大師さま」「お大師さん」が一般的です。
そうです、招待状なんです。これは“縁”と呼べるものですが、“招待状”だとさらにしっくり行きます。
私はこの春に遍路をやる予定でした。桜のなかを震災復興を願って歩きたかったんです。でも、ギルドD55(ギター)に出会いました。たいへん高価なものです。私はギターを取りました。
遍路をやらなかったことをずっと気にしていたのですが、これですっきりしました。私はギターからの“招待状”を受け取ったのです。お大師さまからは来なかったのです。
これでわかりました。人との出会いも別れも、本や映画との出会いも、すべて招待状のせいなんだと。出会えたのは招待状が来たから。出会えないのは招待状が来ないからです。離れた人は、違う所から招待状が来たのです。
嘆いてもどうしようもない。招待状が来ないのだから行けるはずも無い。いま私は阿久悠に夢中?ですが、これもきっと阿久さんから招待状が届いたのでしょう。
進むも止まるも招待状です。そういう意味では先のことをあれこれ悩んでも仕方ないかもしれませんね。秋にはお大師さまからの招待状が届くといいなあ。。