陸前高田の松林で、津波から一本だけ残った松。懸命に残す努力がされています。私はバスの中でこの松を見て泣けてきました。生きて欲しい。

どうしようもないことって、あると思います。天災や天変地異、事故や病気、思わぬ裏切り・・・いろんな経験をして人は死んでいきます。

昨日99歳のおじいちゃんを見送りました。その『寝顔』はまさに仏さまのよう。こんな安らかなお顔があるのかって感じです。

私もこの先どんな結末が迎えてくれるのかわかりませんが、決して努力は忘れず常にいい歌を作り求め、そして面白いことをみつけていく所存です。

人間一人でできることはたかが知れています。あとは仲間と、次の世代が担ってくれます。自分一人でやろうなんて、おこがましいのです。

周りの人がいてくれる、次の世代がある・・・これが私にとっての“希望の幹”です。希望を失うと生きる意欲をなくしてしまいます。

いじめやら自殺やら・・・無縁社会じゃなく『無援社会』なのです。

無縁は無縁で、無縁という立派な“縁”であると、知り合いの住職はおっしゃいました。仏教は深い・・・

希望の幹を、枯らしてはなりません。

希望の幹