結局こういうことです。だって大変ですもの。人間の手に負えるものではないってこと。しかも・・・そんなに大々的に東京ではニュースになっていません。意識に相当の隔たりがあるように思えます。

年末にある方から「源川さんは原発に反対なの?」と訊かれ、答えに困る自分がいました。訊かれた瞬間いろんなものが頭を駆け巡りました。“だって電気は必要だし、携帯だってパソコンだって使うし、ガズ給湯器も電気がこなけりゃ使えない・・”

その方は医療業務従事者で、現に多くの患者さんが電力で治療や療養に当たっているから、原発に頼ってきたいま、素直に原発反対とは言えないとおっしゃいました。よくわかります。で、自分は??それから年始を迎え、モゴモゴしていました。ほとんど“ふて寝”です。

ローソンで限定発売の『あの日〜福島は生きている〜』というDVDを買いました。見ていて私の中で何かが変わるのが分かりました。そしてこの記事

『そうか、人間と原子力は相容れないってことだ』

ましてや日本は被爆国。どうして原子力なんだ?広島と長崎で我が国は何を学んだのだ?原発反対はあべじゅんに任せます。彼女は福島に住んでいるし、それをいう資格がある。そこで私は・・・原子力反対を表明します。それなら言えます。

どうしても原子力発電が必要なら・・・電気が必要な一番東京と大阪と福岡に原発を造ればいい。そういう意味で“原発推進”です。この手抜き除染問題も死のゴミ問題も一気に、一気に自分たちのものになります。街が復興するんでしょう?就職先が増えるんでしょう?電力が潤うんでしょう?じゃあ一番必要な場所に造りましょうよ。

人ごとなんですよ。遠くにあるから見えないし見ないんです。東京湾に原発があってごらんなさい。お台場に遊びに行ったら親は必ず子供に説明しなければなりません。見えますから。原発がどういう施設で、どんな役割を果たしているのか?脂汗をかいて親は説明するんです。「でも電気は必要ね」って。

それを東京や大阪の主要都市は地方に押し付けているんです。まずその自覚がない。あっても希薄です。『再稼働』なんて軽く言うけど、死のゴミが出続けることを忘れてはなりません。即原発が無くなるとは現実的に思えません。ただほかの発電方法(風力/地熱/水力/太陽光など)を国が精力的に開発してる体が見えないのが悔しいのです。あべさんもそう言っていましたし、福島の多くの方が思っていることだと思います。

『人間と原子力は相容れない』

それなら言えます。震災と原発事故が決して風化しないよう、歌を作ります。

<朝日新聞/手抜き除染>

手抜き除染から見えたもの