どうも忘れられているようなのですが(忘れちゃいないのだろうけど)・・人って必ず死ぬんです。これは赤ん坊だろうが年寄りだろうが若かろうが何だろうがです。基本形としてはもちろん年配者から亡くなります。おじいちゃんやおばあちゃんが死に、お父さんやお母さんが死に、子供が死ぬというのが「理想」です。しかし天災があり、事件事故があり、病気がある。先日の御嶽山の噴火は、富士登山をする私にも起こりうることだと痛感しました。御嶽山でも60名以上が亡くなっているのです。
病院で終末期の方の手を家族が握ったりできるのは幸せなのです。一人でひっそり亡くなる方がどれだけ多いか・・すると事件性がないか警察がはいり、亡骸は検視や検案のために家族とは遠いところへ運ばれていきます。80や90歳になれば体内外は自然と弱まります。死ぬ様になっていく。人は死ぬってことがもっともっと周知されているならば、そんなに詳しく調べなくても「ああ、この状況なら死因はこうだな」とか、家族も納得すると思うのです。しない場合だけ詳しく調べればいい。(その費用だって馬鹿になりませんから。その支払いは家族に回ってきます) 余談ですが私は“アンチエイジング”という言葉は大キライです。勝手にやれって感じ。年を取ることに無理して逆行するイメージがあります。笑って過ごしていれば自然と若返るし仲間も増えます。笑顔こそがアンチエイジングです。 私は両親ともに病院で看取ることが出来ました。これって・・やはり幸せです。死ぬことは悲しい/寂しいことだけれども、看取れるのは幸せなのです。事情があって病院へ見舞いに行けない人もいるかもしれない。誰からも見舞われない人もいるのです。人から「ありがとう」と言われる人生をどれだけ歩んでいるか?誰からも見舞いに来てもらえない、線香一本もあげてもらえない人生を歩んではいないか? ・・梅雨の空を見上げてそんなことを思うのです。
看取るということ