私は『感動』について持論があります。 私は感動したことの無い・その実感が無い人には、誰かを感動させるのは無理だと思っています。なぜなら何が「感動」なのか知らないからです。自分で感覚として分かっていれば、誰かを感動させることが出来ますし、感動させる“コツ”が分かるんだと思うのです。 自慢でもないですが、私は年じゅう感動しています。朝陽に感動するし、暑くなった寒くなったで感動するし、美味しいお茶を淹れてもらえば感動しますし、誰かに会えば感動します。久しぶりに会ったりすれば尚更です。歌を聴いて感動しますし、素晴らしい映画に出会って感動、詩に出会って感動します。綺麗な女性に会えば、もう最高に感動します(笑)。もう感動のアメアラレ。感動が服を着てるようなものです(意味不明) 最近ではポール・マッカートニーのコンサートにとても感動しました。一生の思い出です。誰に何を言われても思われても構いません。私だけの宝物です。ビートルズのメンバーが歌ってくれるだけで感動ですし、同じ空間で同じ空気を吸えるだけで幸せです。結局は言葉じゃ言えないのです。 もし誰かを感動させたいと思うなら、まず先に自分が感動しなさいと言います。自分の感動が先。自分で感動できないで、どうして感動を人に伝えられようか。感動は何も心地よいものばかりではありません。胸をグググッと締め付けられたり、時には何かでぶん殴られるくらいの衝撃を受けたりします。それから自分の創作や表現が始まるのです。心をオープンにして見たり感じることです。 下を向いて馬鹿みたいにスマホでゲームばかりやってるようでは、感動はスルスルと逃げてしまうのです。便利さや楽しさは分かります。私も恩恵を受けています。でももし何かの事情で長い期間下を向いていたなら、同じだけ前を向きなよって話。何事もバランスなのです。人から受けていてばかりじゃいけません。受けたら返す。できなければきちんと「ありがとうございます」と言う。感動もそうです。ポールに感動を貰ったのですが、ポール本人に返すのはちょいと難しいので、その分は自分の周りの方々に返したいと思っています。 良い歌を書く。それが私に出来る最大の恩返しです。 (ポールには「ありがとう」と会場で何度も言いました。あの日の大阪ドームの一塁側スタンドで最初に「ポール!」と叫んだのも私です笑)
感動について