<写真:典型的な遍路道です>
今回の遍路も短いながらもいろんな方と会いました。
離婚問題に悩む方、何度も交通事故に遭う方、借金問題を抱える方・・初めてアメリカ人遍路とも仲良くなりました。
初まての遍路の時、ある善根宿(善意で泊めてくださる民間の宿)のご主人に言われました・・
「四国を楽しみなさい。食べたり飲んだり、まずは楽しむこと。宗教心は三割くらいでいい」
私はそのとき恥ずかしながら“遍路をして行を積む”みたいな考えだったんです。ところが遍路には私などには想像もできない、過酷で大変な想いで来てる方がたくさんいらっしゃる。それに比べたら私の悩みなど軽い訳です。ご主人にそう言われてから(修行を積むみたいな)宗教心はあまり考えないようにし、楽しむことを心がけました。だからお寺に着いたら精一杯拝みます。その間は景色を楽しみ、食べて飲み、出会いに感謝して歩きました。だから88ヶ寺歩けました。なまじ修行などと言わぬが良い。だって本当の修行はこんなものではないのですから・・
昔は遍路は“死に場所を探す旅”だったといいます。いまのように医学が発達していない時代、不治の病を背負った者が仕方なく息絶えるまで遍路をした・・だから杖はその人の墓標代わりだったと聞いたことがあります。だから杖は必ず要るのです。
実に重い話です。私のように日頃たいして運動もしていない人間でも遍路は出来ます。遍路をやることが自体が重要なのでなく、大事なのはやはり日頃の行いや考え方なのだと思いますが、皆さんいかがでしょう?