先日放送されたテレビ朝日の『TVタックル』、テーマが“介護と医療”でした。とても大事なテーマでしたが、中でも司会のビートたけしさんが発する言葉が秀逸でした。(私の考えととても似ています) たけしさんは自分の父親を9年間、親戚と交代で自宅介護していたそうです。亡くなったあと葬儀での安堵感と開放感はたまらなかったと番組内で言っていました。私は「長生き=しあわせ」とは決して思いません。長く生きたとしてもそれを理解して面倒をみてくれる家族がいること、体もある程度自由が利いて、生きていることに喜びや感謝できる状態でなければ、どうして生きているのか分からなくなります。友達だって少なくなる(=死んで行く)し、食事やお酒だって制限もされるでしょう。自分が歳をとるってことを理解し受け入れる必要があります。 親が死んで悲しい、もちろん普通ならそう思います。その一方で死んでほっとする部分もあるってこと。良寛さんの言葉を借りれば、死ぬときは死ぬが良いんです。そして死ぬときは死ぬんです。 番組最後にもう一つ、たけしさんがタイトルロールが流れるなかで言ったこと・・・ 「各個人が早めに自分の生き死にについて考えることが大事。自分の死に様くらいは考えておいた方がいい」 これは本当にその通りです。思わずたけしさんに拍手しました。寝たきりや危篤になってからでは遅いんです。元気なうちに「葬儀はどうしたい?」とか「晩年はどんな風に生きたい?」とか親に聞くんです。失礼でもなんでもない。だっていずれ絶対必ず誰しも死ぬんですから。本当に通じてる家族なら訊けるはずです。死は100パーセントです。それを見ないように触れないようにする方がおかしいのです。 私は小学生の課外授業で“葬儀にお参りする”というのを入れたらどうかと思うんです。誰か理解のある大人何人かにオファーしておいて、その方の親の葬儀に学生がお参りに行き、ドキドキしながら焼香したりお辞儀をするのです。立派な社会勉強です。私は常々、どうして「死ぬんだ」ということを教育しないのか?と不思議に思っています。こうしたら人は傷つき、悲しむってことを教えれば、それを知った後の彼らの行動は変わるはずです。出来るだけ早い方(若い方)がいいし、これに金は一切かかりません。先生が葬儀会場まで誘導するだけです。「人が死んだらその周りの人はこういう風になるんだ」ってことを子供に体験で教えるのです。先進的な考えではあると思いますが、私は本気でそれを望みます。 医療と介護・・切っても切り話せない問題です。はっきり言って国は長生きするなと言っています。どうすれば一番自分が「楽しいのか」を、私は考えていきます。
TVタックル