最近はご自宅で葬儀をあげる方がめっきり減りました。数十軒に一件あるかないか。とにかく減りました。
原因として、1)葬儀斎場の普及や、2)あまりご近所に(亡くなった事を)知られたくない、などがあると思います。
私が業界に入った頃は、まだご自宅や町内会館での葬儀が半分以上ありました。たまに斎場での葬儀があると「今日は楽だ〜」くらいに思ったものです。
 
ご自宅だとまず家の中を片付けをし、幕などを張って式場に整えます。ご自宅での葬儀は何より移動がないのでご家族には楽でしょう。何せ式場が家なのです。故人を自宅で見送れるというのも喜ばれます。・・しかし、準備はそれなりに大変です。ほぼ引越のような感じになります。タンスやテレビを移動したり、テーブルや椅子・座布団などを手配したり、などなど。
家でやるにはそれなりの面積が必要です。
 
町内会館での施行もやりがいがあります。会館での葬儀は、会葬者を動かす“動線”をいかに考えるかがすべてといっていいくらい重要です。そのためにどんな道具を用意して、どこにテントを張り、照明具を付けるかが変わるのです。
 
近所の方も集まってきて、皆でおむすびを作ったりお汁を作ったり漬け物を持ち寄ったりしてワイワイなります。そのうち「葬儀屋さんも食べな」ということになり、作業を止めていただいたりしました。葬儀が非常にハートウォーミングでした。
 
“終活”などという言葉が世間を賑わせ始めたのはこの5年くらいでしょうか?葬儀業界にも普通に大卒やシュッとした若い人が入ってきましたが、彼らはきっと自宅葬や町内会館での葬儀を体験していないでしょう。私は運良くどちらもたっぷり経験させていただきました。いまでもたまに自宅葬がはいると、心の中で「さて、どうやってやろうか?」と腕まくりします。杓子定規ではない、まさにその時、そこでしか出来ないオリジナル葬となります。
 
自宅で葬儀がないと、式場に行かなければ“死”に触れないという状況になります。私が危惧するのはその辺りで、下手をすると大人になるまで“死”を知らない子供になります。死というものは本当にすぐそこにあります。
先日も庭の草刈り中に心筋梗塞で亡くなった男性を搬送しました。昭和18年生まれでしたので、まだまだ平均寿命よりはお若い。(この場合、変死扱いとなるので警察が介入します)
つまり死なんてその辺に転がっているのです。
 
・・と書いていたら、元アナウンサーの小林真央さんが亡くなったというニュースが入ってきました。まさに“死”ではないですか。
医学は進みましたが、万能ではない。いや、万能では困る。悲しいですが、人間は死ぬものなのです。命には限りがあるからこそ、信頼したり協力したり、ぶつかったりして磨かれて光るのです。
いつまでも生きるとなってごらんなさい。人なんて何の努力もしませんよ、きっと。
小林さんの死はご家族を始め、多くの方に「生きること」の意味を教えるはずです。悲しいですが、そういうことなのです。謹んでご冥福をお祈りします。合掌=
*友引毎に更新
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誰も書かなかった葬儀のお話 『自宅葬』・・編