先日のお遍路交流会にも来て下さった辰濃和男先生(朝日新聞の“天声人語”を長く執筆されていました)。

先生が書いた『四国遍路』(辰濃和男著・岩波新書)、とても面白いです。なかに例の“正解正解大正解”の前文にあたる記述を発見しました。

この世に生きていれば、迷うことばかりだ。小さな迷いもあり、大きな迷いもある。迷わないという人がいれば、それは自分を偽っているのだ。

迷ったら立ち止まればいい。立ち止まって新鮮な空気を思いっきり肺に流し込めばいい。迷ったことで得られる体験、というのがあると思えばいい。

迷って遠回りすることを恐れることはない。百の道のうち一つを選ぶということは、九十九の道を失うということになるのだ。失った九十九の道に執着することはない。

どの道を選んでも、たくさんの道を失うことに変わりはないのだから、自分が選んだ道をたのしむことだ。(中略)迷うことのないように仕組まれた公道だけを歩くのでなく、

おおざっぱな方向さえつかんでいれば、あとは公道を避け、手探りで自分の道を見つけて行くことが時にはあっていい。(中略)私たちは日常の暮らしで、

迷うことを恐れすぎているのではないだろうか?

お遍路をやった者ならピーンと来る文章です。迷ったらその時こそ「正解正解〜」を唱えたらいい。

しかしまた日常に戻ってみると、迷いのオンパレード。人間関係やら仕事のストレスやらのモヤモヤに潰れそうになります。

だからお遍路に終わりはありません。“巡礼巡拝歩き旅”がいつでも待ってくれるのです。山が、海が、青空が待っています。(大量の汗と筋肉痛も待ってますが)

車でもバスでも自転車でもいい。でも歩くのがやっぱりオススメです。私は次は高知県を区切り打ちで、ゆっくり歩きたいと思っています。

四国遍路